30歳をむかえ二日目の朝[おぼえがき]
2018.05.31 Thu10代のころ、
演技をせずには生きていけないと思っていた。
そのときのからだが感ずるもの
内に動くものの昇華する先を
切に求めていた。
育ての親でもあった祖母が二十歳のときに亡くなり
それ以後わたしの趨勢は徐々に変化が見られる。
常識者としての面も色濃くなるが
理想に焦がれるふわふわとした足つきも
消え失せはしない。
25歳以降は役を演じることを通して
人間の生を学んでいるようである。
子を産んだことがないのに母を演じ、
弟がいなくても姉を演じ、
少数派の孤独や恋愛の破滅に身を浸した。
このような経験は
自分が何者かになろうとする過程を通じて
「学ぶ」ということなのだろう。
わたし自身は何も識らないのだから。
そして学びはつづくよどこまでも。
29歳、30を目前に
ふわりとあたまに浮かんできた言葉があった。
…自分が何のために仕事をしているのか、
何のために命をつかうのか、もちいるのか、
ささげるのか
新たな変化の萌としておぼえがき。