若松孝二監督 [日々] 2012年10月20日 (Sat)
若松孝二監督が亡くなった。
私たちに たくさんの 愛を 与えて下さった
素晴らしい方 でした。
私は、監督と新宿の小学校であった『実録・連合赤軍』のオーディションで初めて出会った時から、監督と過ごした時間、監督の言葉、全部覚えている。
オーディションでのっけからの全否定。
過酷な撮影現場。
クソ寒い雨上がりにほふく前進した後びしょ濡れで凍える私たちに「ヤワだなー」と言い放たれた時の殺意
監督の別荘に招いていただきあたたかい鍋をごちそうになり、お酒を飲みながら聞かせてくれたたくさんのお話。あの部屋の温度と湿度。全てがほどけて溶け出すほどの。
東京国際映画祭のレッドカーペットを全員で歩かせてくれた最高の思い出。
嬉しそうに私たちを何度も飲みに連れて行ってくれたこと。
監督のいる空間はいつも、とてもあたたかい。
あたたかい、あたたかい、本当にあたたかい人。
監督のおかげで、どんな過酷な現場だろうと耐えられる強い子になったよ。
特別な絆でつながれた同志ができた。
ダメダメで、甘々だった私たちに、厳しく指導して下さった。
映画のお芝居を教えて下さった。
監督の物言いはいつもひどいから、私はいつもたてついていたけど
でもその裏にあるどでかい愛を知っていたから、私は安心してたてついていました。
大好きなコーズィー。
自分の映画を撮る人。かっこいい不良な大人。
『実録・連合赤軍』のメイキングをまた観ました。
子供がおもちゃを欲しがるように、自分の物なんにもいらないから映画を撮りたいって おねだりして 自分の別荘ぶっ壊して撮った映画
あんなに心の底から震えるような体験 現場 参加できたこと
私は、本当に、幸せ者だ。
監督、また会いたかった。
大好きです。
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