本当の空の青 [日々] 2010年02月02日 (Tue)
今日、上野の森美術館で開催されている『コ・ト・ノ・ハ歳時記』という日本の短歌・俳句・川柳・詩の展覧会を観に行った。
私の伯母が作品を出展するため、大阪から上京してきたのです。
会場にはたくさんの方々の作品が。
テーマが「生きる」だったので、涙を誘うものも・・・
伯母の作品はその中でも、作者自身の「生」そのものを言葉にするというより、目に映る風景を描く事によって、それを見つめる作者の存在が感じられる、素朴で繊細な絵のような俳句でした。言葉だけなのに、不思議と情景が広がるような。
伯母は長い間高校の国語の教師をしてきたので、日本語のプロです。(たぶん)
でも(だからこそ?)難しい言葉を使わず素朴な俳句でした。
言葉を使って絵を描くような。
彼女は絵もとても上手です。素朴な花の絵など。私の名前の名付け親でもありんす。
ふるさとは信楽、そこもまた素朴な所なんす。
そんな伯母の作品の中から、ラジオで紹介された俳句をひとつ・・・(ニッポン放送の番組で、この展覧会の紹介をするコーナーがあったのです)
去年今年何も変わらぬ空の雲
※「去年今年」は「こぞことし」と読みます。新年の季語です。
《作品解説》
年をとると、新年が来たからといって希望や目標があるわけではなく「昨日の続き」である。新鮮さも意気込みもないお正月だ。けれども変わったからといって良いとも限らない。
空の雲はあらゆるものを超越して、悠久の営みを続けている。全てにこだわりなく雲は流れる。空の果てには何があるのだろう。
無限の宇宙の広がり、時間・・・。極小の我。地球もだ。
小さな星の上に生きる自分。皆が幸せであるように、平和であるようにと願う。
だって。う〜〜ん、コスモ。仏教。
リリーフランキー氏が『美女と野球』で言っていた、「本当の空の青」の話を思い出した。
伯母は、80年生きて、どんな色の空を見ているのだろう・・・。その年月を生きてこそ、詠める詩がある。
私も、いつか本当の空の青が見える時まで前を向いて生きよう。
すごく元気で若々しい伯母。これからも益々元気でまたいい作品作ってね♪
ちなみに私は俳句とか、めっちゃ苦手です。謎ポエムなら得意だが。
皆さんもたまには、美しい日本語を使って俳句を詠んでみては・・・?
では私も思いつきで一句。
梅の咲く区役所前でパン喰らう
(そしてついでにブログを更新)
いかがでしょうか、先生?(季語=梅)
ここにコメント欄があったら、みんなのズッコケ&真面目俳句(短歌)募集するのに〜〜残念。いつか実現させよう。
写真は、不忍池のカモメさん。
今日は親戚が集って、一緒にご飯を食べました。珍しいメンバーで、お正月第二弾みたいで楽しかった〜!
ここにちっちゃい文字で書かれている言葉たちも、ラーメンの汁に浮いてる細かい油の膜がつながって大きくなるみたく、でっかい文字でひとこと。
おおきに。