2008年03月07日(金)
「古巣」と呼べる場所があることのありがたさ。 [おシゴト]
会社を辞めたのは98年のことだ。
(うわ。気づけば今年で10年だ・・はや。)
辞めた一番の理由はもちろん
「結婚」
だったのだが
(ダンナさんとは1年半の間おつきあいをしていたものの
お互いホント時間がなく
夜中に
「今、仕事終わったから20分だけ会おうよ」
・・って電話がよく・・(笑)。
さすがに
「このまま結婚してもすれ違いまくるな・・」
・・と思い
「まずはきちんと家庭をつくろう、家族になろう・・」と・・。
だから
「辞めよう」・・って・・)
でも、さすがに
「入社4年半で辞めるのはもったいないのでは?」
あちらからもこちらからも言われ・・(そりゃ、そーか)。
でも、
それでも、
意外とあっさり決断できたのは
入社して4年、
ずっと
「やっぱり私、アナウンサーに向いてない気がする」
・・って気持ちが
心の真ん中に(・・けっこう真ん中に・・)
あったからな気がする。
・・そうなんだ。
私はずっとアナウンサーとしての自分に半信半疑だった。
・・ような気がする・・。
気が弱いし(・・ココにもよく書いてますが)
だから負けん気も弱い
(でもついてくる「看板」はけっこう大きい・・)。
そして日々、すごい速度で仕事はやってきて
消化しきれてない(うまくできてない)気がしながらも
また次の仕事へ向かわざるを得ない。
「マイペースの私には、このペースはやっぱりムリかも」
気づけばいつからだろう、そう思うようになっていった。
・・そしてなにより。
そんな
「(たぶん、精神的に)ムリしてる感じの自分」
・・を
(残念なことに)あまり好きになれなかったのだった。
もともと大してなかった私の「ひきだし」は
このままじゃ
たぶん、まもなく枯れてしまう。
「1度、フラットな状態へ自分をリセットしたい」
・・たしかにそんな思いがあった。
(たった4年半でそう思ってしまったのは
私自信の「弱さ」だ・・ともわかってはいたのだけど。)
かくして
取材などを通して
すばらしい経験や出会いを
たくさん与えてくれたフジテレビを辞めた。
(それは、もう、ほんとに・・
他ではなかなかできないような経験を
たくさんさせていただきました・・)
そして。
「アナウンサー」を辞めて主婦として過ごす時間が長くなるほど。
レインボーブリッジを渡りながらお台場の社屋が目にはいっても
「あたし、あそこに勤めてたのか・・」
「あたし、あそこに勤めてたんだよね・・」
「あそこに勤めてたんだっけ・・?」
・・どんどん実感がなくなっていって(笑)。
(なんでだろ?
でも大塚さんや八木さんとランチしたりすると
「あぁ、あたし、フジテレビだったんだ・・」って(笑))
おととい
ひさびさに
平日の「フジテレビ」に行き。
(これまでもちょこちょこ番組でお世話になっているのだけど
本社のスタジオじゃなかったり
たまたま休日で、あまり知っているスタッフがいなかったり・・
・・とかが多くて)
新人のころから「いいとも」でお世話になってたスタッフが
「こないだのあの番組、おもしろかったよ」
たまたまいた顔なじみのメイクさんも
「あら、トミナガさん〜。ひさしぶり〜。
見てるよ〜」
そして
帰りのタクシーを配車してもらおうと
マネージャーさんと車輌部(・・室だったかなぁ?)へ行ったら。
車輌部のおじさまたちが(早朝の迎えでよくお世話になってました)
すごくニコニコしながら
「あぁ、トミナガさん。ひさしぶりだねぇ。
色々見てるよー。
・・あ、6チャンのも(「はなまる」のことだと思う・・)
ちゃんと見てるよ」
・・自分の思いもよらないところで
実は
ココロの中で
応援してくれている人たちがいる。
たった4年半だったけど
たしかに私は
そこに足跡を残し、
誰かとつながっていたんだ。
お台場からの帰りのタクシーの中で
しみじみうれしかった。
(葉タマネギをどうしようか・・とも考えたけどさ)
「キミはキミのペースでがんばればいいんだよ」
車輌部のおじさんの笑顔が
すごくそう言ってくれてるように感じた水曜の午後でした。
(ちなみに昨日、もくよーは
ロケのあと
半年ぶりぐらいかなぁ?
アナウンサーの同期4人でおいしいゴハンを食べました。)
そして、
その、
車輌部のおじさんも見てくれている(笑)
(・・ありがとーございます・・)
「はなまるマーケット」。
11日のOAは「新タマネギ」。
ロケで色々、使い方を教わってきて
「実はすごく使い勝手がいいんだ・・(驚)」
日々、「今夜なに作ろう?」と悩む主婦のみなさんに
ぜひ、見てほしい・・
・・と思いました。
・・なので・・ぜひ(笑)。
Posted by 富永美樹 at 22時51分